Akio Hirata
オートモード 平田は、1955年に平田暁夫によって設立されました。
日本のファッションが世界に広がりつつある時代に、
多くの素晴らしい機会をとらえ、
パリで磨いた技術を生かしながら創作活動を続けてきました。
三宅一生、コム デ ギャルソン、山本耀司などの
ランウェイで時代の先端を行く一方、
皇后陛下や上皇后陛下をはじめとする皇族方のために、
2000年の日本のエレガンスはどうあるべきかと世界に挑戦し続けました。
写真:操上和美
平田暁夫は14歳で帽子作りを始め、パリで顧客一人ひとりに合わせて究極の美意識と技術で
仕立てる帽子のオートクチュールに匹敵する、「オートモード」の真髄を学びました。
モナコ王妃グレース、ジャッキー・ケネディ、ソフィア・ローレンなどを顧客に持つ
オートモダンの巨匠ジャン・バルテのもとで働き、
「スパットリー(型の元になるもの)の神」「型の天才」
と呼ばれるほど、その才能を急速に開花させた。
服装やバランスにこだわった独自の帽子を追求し、常に新しいことに挑戦していった。
また、川久保玲から「誰かのタンスに残っている帽子」をイメージした作品を依頼され、
折れた花をあしらった帽子を制作したという逸話も有名である。
あるフランスのジャーナリストは、
「芸術家が絵画や彫刻に人生を捧げるように、平田暁夫は帽子に人生を捧げた」
と言ったという。
平田は、帽子を身につけるアートとして昇華させた稀有な存在として、
日本のファッション史にその名を刻んでいる。
帰国30周年と自らの70歳の誕生日を迎えた記念の年となった1995年、
パリのホテル・ブリストルで開いた個展は大きな話題を呼んだ。
モード界の重鎮やジャーナリストたちは、彼を“ル・メートル”と絶賛し、
そこで展示された作品の一部はルーヴル美術館、パレ・ガリエラ・ファッション美術館を
初めとする美術館に永久保存されている。
2014年3月、89歳で逝去。5月に開かれた「笑顔で送る会」には、
各界から1000人を超える錚々たる人々が参列し、別れを惜しんだ。
そこには、異例にも当時の美智子皇后陛下がご臨席され、彼が製作した帽子を着用された。
表彰歴
1961年 第5回FEC賞
1991年 毎日ファッション大賞・鯨岡阿美子賞
1999年 第7回桑沢特別賞
2001年 第44回FEC20世紀大賞
2011 年 第 29 回毎日ファッション大賞 文化庁長官賞
2011年 文化庁長官表彰
2013年 第5回ものづくり大賞内閣総理大臣賞受賞
2014年、他界したAKIOの後を継いで娘のOHKOが、
世界最高峰のものづくりを維持するアトリエの総監督に就任。
AKIOの妻KYOKOとともに、3世代で考え、帽子を作っています。
HIRATAのlʼespritは、頭にかぶるもので、時代とかぶる人の個性を結びつけ、
時に華やかに、時に静かに上品に、最高のかぶり心地を提供することです。
ヒラタ ノ ボウシ展
Place: Spiral Tokyo
installation by 佐藤オオキ
2011